生別とは

生別ってなあに、先日、テレビを見ていたら、6歳の娘にいきなりこんな質問を突き付けられました。
生別っていうのはね、「さようなら!」って言ってお別れする事だよ。
どうにかこうにか苦し紛れに答えたのですが、娘は空かさず切り返して来たではありませんか。
だったら○○も、毎日いっぱい生別してるよって言われたら、親なら誰だって一瞬目が点になります。
よくよく話を聞いてみると、小学校では毎日先生やお友達に「さようなら!」を言っているから、毎日沢山お別れしているという意味だったんですけどね。
なるほど、それも言われて見れば、確かに生別というやつだなぁっと感心させられてしまいました。
私だって、きっと娘と同じ年頃には、同じような発想をしたはずです。
6歳の頃は普通、生別と聞いて、失恋だの離婚だのなんて、100パーセント思い浮かばないでしょう。

生別と一口に言っても、様々な内容と、それに応じたスタイルというのがあります。
娘の言う通り、毎日毎日どこかで誰かと生別を繰り返している人は、決して少なくはないでしょう。
しかも、面白い事に、次の日またその人と会って、また生別を繰り返すんです。
よくぞ飽きないなぁっと思う位、日々会うと生別を繰り返し、いつか別れたくない、ずっと一緒にいたいと思った時、そこに一つの感情が表れるのではないでしょうか。
そういう風に考えると、毎日の出会いと別れの中に愛や悲しみが沢山入り交じっているんですね。
て、こんなの当たり前、生別の定義を語ろうとする事自体に無理があるのかも知れないですね。
でも、別れはありとあらゆる場面に入り込める一コマであって、人生最後の別れの時まで、人は数え切れないほどのさよならを言います。
特に卒業シーズンでもある春先は、生別事に涙を流す人も多い事でしょうね。

生別ってなあに、なんて可愛い事を言っている娘とも、いつか体験する日がやって来ます。
その時もしかしたら、この生別とは何かという質問の本当の答えが娘にも私にも判るのかも知れませんね。
出来る事なら、互いに心から喜び合えるような幸せな別れがしたいものです。
今度の娘のこの質問、あまりにもユニークだったけど、中々の難問、そこで、生別とはなんなのかをインターネットで調べてみる事にしました。
すると、やはり男女関係に関する観点からとらえているブログやサイトが多いようですね。
やっぱり大人になると生別という言葉は悲劇の主人公になってしまうのでしょうか。
自らの体験をもとに熱く語っている人も多くて、お陰様で、わりと楽しくいろいろな別れ話を読ませていただきました。
生別の定義がもし本当に存在するとしたら、それは神様しかはじき出せない方程式なのでしょう。